2011年03月08日
豊臣秀吉の側室・淀殿が創建し、後にその妹で徳川二代将軍秀忠の正室・江が再興した。今回、大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の放映記念で、江や淀殿、秀吉ゆかりの寺宝が特別展示されています。
内部は撮影禁止となっています。

・・<京都市による案内>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
豊臣秀吉の側室淀殿が父の浅井長政の追善のため、文禄三年(1594)に成伯法印(長政の従弟)を開山として建立した寺で、長政の法号「養源院」を寺号とした。
建立後、まもなく火災に遭ったため、元和七年(1621)に淀殿の妹で徳川秀忠の婦人の崇源院が伏見城の遺構を移して本道を再建し、以来、徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀っている。
本堂の廊下の上の天井は、関ヶ原の合戦前、家康の命を受けて伏見城を死守した鳥居元忠以下の武士が自刃(じしん)した時の廊下の板を天井に上げ、その霊を弔ったもので、俗に、血天井として知られている。
本堂の杉戸及び襖の絵(共に重要文化財)は俵屋宗達の筆によるもので、杉戸には唐獅子、白象、麒麟等の珍しい行動が描かれており、奇抜新鮮味にあふれ、中学・高校の美術の教科書にも用いられている。


崇源院(お江の方) 石塔墓
お市の方 供養塔
公開は3月21日まで・・・詳しくは京の冬の旅・養源院・特別公開をご覧下さい。
交通:京都駅から京都市交通局(バス)で博物館三十三間堂下車
大きな地図で見る
内部は撮影禁止となっています。

・・<京都市による案内>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
豊臣秀吉の側室淀殿が父の浅井長政の追善のため、文禄三年(1594)に成伯法印(長政の従弟)を開山として建立した寺で、長政の法号「養源院」を寺号とした。
建立後、まもなく火災に遭ったため、元和七年(1621)に淀殿の妹で徳川秀忠の婦人の崇源院が伏見城の遺構を移して本道を再建し、以来、徳川家の菩提所となり、歴代将軍の位牌を祀っている。
本堂の廊下の上の天井は、関ヶ原の合戦前、家康の命を受けて伏見城を死守した鳥居元忠以下の武士が自刃(じしん)した時の廊下の板を天井に上げ、その霊を弔ったもので、俗に、血天井として知られている。
本堂の杉戸及び襖の絵(共に重要文化財)は俵屋宗達の筆によるもので、杉戸には唐獅子、白象、麒麟等の珍しい行動が描かれており、奇抜新鮮味にあふれ、中学・高校の美術の教科書にも用いられている。




公開は3月21日まで・・・詳しくは京の冬の旅・養源院・特別公開をご覧下さい。
交通:京都駅から京都市交通局(バス)で博物館三十三間堂下車
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